理解

ちょっと時間の隙間でパラッとめくったら「確かに…」と思ったので残しておきます。なんてか、当たり前のことなんだけど、当たり前にできていないこと。

以下、引用です。

理解と愛はふたつの別々のものではなく、ひとつのものです。たとえば、息子さんが朝寝をしてしまったとします。そこで、この子はすぐに妹を起こして、朝食をとって、学校に遅れないように気を使います。妹はたまたま機嫌が悪くって、「ありがとう、お兄ちゃん」と言うかわりに、「うるさいわね、ほっといてよ」と言って、足で兄を蹴ったとします。そうすると、おそらく兄は腹を立てて、こう考えるでしょう。「優しく起こしてやったのに、どうして蹴ったりするんだ」。彼は台所までやってきて、あなたにそのことを言いつけたいと思うかもしれないし、あるいは妹を蹴りかえしたいと思うかもしれません。

しかし兄は、ここで妹が昨晩とてもひどい咳をしていたのを思いだして、体のぐあいが悪いのではないかと思います。妹があんないやな言い方をしたのは、きっと風邪をひいていたからだろう。これに気づいて、はじめて兄は、妹の反応がわかったのです。妹の状況を理解してやると、腹は立ちません。相手を理解すると愛さずにはおれなくなります。腹など立てようがありません。この理解するこころを育てるためには、生きとし生けるものすべてを、慈愛の目で見つめる練習をすればよいのです。あなたが理解すれば、愛はひとりでに育ちます。あなたがひとりでも愛を実践すれば、自然にほかの人たちの苦しみを解き放てるような行いができるのです。

『微笑みを生きる』ティク・ナット・ハン 池田久代訳