
まだ1月3日か。まだお正月なのか。そんな朝です。今朝も美味しくコーヒーをいただいております。まいうー。コーヒーまいうー。
今日はティクナットハンの『微笑みを生きる』で印象に残ったところを書いておきます。書いても忘れちゃうけど、書きたいのです。
禅門でよく語られる花の話があります。ある日ブッダが、1250人の修行僧や尼僧たちの前に、一輪の花をさしだされました。長いあいだ黙って、ただ花をさしだされるだけでした。弟子たちはみんな水を打ったように沈黙しておりました。一所懸命、師の含意を汲みとろうと考えをめぐらしていたのです。すると、突然、ブッダが微笑まれました。弟子のひとりがブッダとその花に微笑みかけた、その瞬間のことでした。その僧の名は、マハーカーシャパ(摩訶迦葉)といいました。大勢の弟子のなかで、迦葉ただひとりが微笑みの返答をしたのです。
自分に理解できないものの意味を汲み取ろうとするのが学びの起動と仰る方もいるけれど、それはそれで置いておく。
多くの弟子は師の行動はどんな意味があるんだろうか?何を私に問うているんだろうか?とかとかとか考えまくった。そうじゃなくて、摩訶迦葉はブッダと同じ目線で返した。同じように花を見て一緒に微笑んだんだよね。
あーなんかいいなぁと思った。横並びだよね。ブッダと。
そんなことを思う朝でした。