あえて言うが

朝のコーヒーをズルズルとススリながら書いている。

今日もスピノザ。エチカを読んでいて思うことがあったので書いておく。

ネットというかTwitterを見ていると、とにかく怒っている人が多いし、自虐的というか自殺的だよなぁと思うことも多々ある。インプレッション稼ぎとは思えない人も多い。

「そんなに死にたいのか?どうかしてる」と言ったことも数しれず。

でも、素直に考えると多くの人が外部から圧倒されている状況なんだよね。そこに向かって「なんでそんなに死にたいの?アホなの?」っていってしまう自分の方がどうかしているかもしれない。そんなことに気づいた。

あと、思うんだけど立場関係なく「実は怒らされているじゃないか?」って少し考えてみたりするのもいいかもしれないね。自分の人生だからね。

『エチカ 第四部 人間の隷属あるいは感情の力について』より

定理二〇 備考

それゆえに何びとも自己の本性に反する外部の原因に強制されるのでなくては自己の利益の追求を、すなわち自己の有の維持を放棄しはしない。あえて言うが、何びとも自己の本性の必然性によって食を拒否したり自殺したりするものでなく、そうするのは外部の原因に強制されてするのである。この自殺は種々の仕方で起こりうる。例えばある人は、偶然剣を握ったその手を、他人からねじ返されて自分自身の心臓にその剣を向けるように強制されて自殺する。あるいはセネカのように暴君の命令によって自らの血管を切開するように強制されて、すなわち、より大なる害悪をより小なる害悪によって避けようと欲して自殺する。最後にあるいはまた、隠れた外部の原因が彼の表象力を狂わせ彼の身体を変化させてその身体が前とは反対な別種の本性を―――それについて精神の中に何の観念も存しえないような(第三部定理一〇により)そうした本性を―――帯びるようにさせられることによって自殺する。これに反して人間が自己の本性の必然性によって自分が存在しないように努めたり、他の形相に変ずるように努めたりすることは、無から有が生ずるのと同様に不可能である。これは誰でも少し考えればわかることである。