その人

糖質制限ですでに2kg近く痩せました。順調です。コーヒーも美味しい。

ドゥルーズを読んでみようかと思って始めてみたら、スピノザさんとまたお会いすることになったので、やっぱりスピノザさんとは縁があるのかなと。

家に積んでたり、過去に読んだものを読み返したり、エチカを何言ってるかわからねーようなわかるような感じで読んだりしている。

『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎 より

「このエイドス的なものの見方は、道徳的な判断とも結びついてきます。人間について考えてみましょう。たとえば男性と女性というのも、確かにそれぞれ一つのエイドスとしてとらえることができます。そうすると、たとえばある人は女性を本質とする存在としてとらえられることになる。その時、その人がどんな個人史をもち、どんな環境で誰とどんな関係をもって生きてきて、どんな性質の力をもっているのかということは無視されてしまいます。その代わり出てくるのは、「あなたは女性であることを本質としているのだから、女性らしくありなさい」という判断です。エイドスだけから本質を考えると、男は男らしく、女は女らしくしろということになりかねないわけです。

「力」こそ本質とする転換

それに対してスピノザは、各個体がもっている力に注目しました。物の形ではなく、物がもっている力を本質と考えたのです。そう考えるだけで、私たちのものの見方も、さまざまな判断の仕方も大きく変わります。「男だから」「女だから」という考え方が出てくる余地はありません。たとえば、この人は体はあまり強くないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな仕事が合っているだろう・・・・・・。そんな風に考えられるわけです。

そして、当然ながら、このような本質のとらえ方は、前章で見た活動能力の概念に結びついてきます。活動能力を高めるためには、その人の力の性質が決定的に重要です。一人ひとりの力のありようを、具体的に見て組み合わせを考えていく必要があるからです。エイドスに基づく判断(「男だから」「女だから」)は、その意味で実に抽象的であると言うことあできます。」