
ここ最近思うことがあった。それに対して残しておく。
『スピノザの世界 神あるいは自然』上野修 からです。
「実際、神に関する認識がすべての信仰者で等しいわけではないことをだれが知らないであろう。また、なんぴとも命令されて生存したり存在したりできないと同様、命令されて賢くあることなどできないということをだれが知らないであろう。男も女も子供も、およそ人間は命令されて等しく従順であることはできるが、命令されて等しく賢くあるわけにはゆかないのである。(『神学政治論』第13章)
だから、とスピノザは続ける、「神あるいは自然」を認識するよう万人に義務付ける命令など存在しない。もしそういう認識が若干の人々にアクセスできるなら、それは前に言ったような意味での望外の「恩寵」なのだ。そして彼はこう付け加えてもよかっただろう。しかしそうでない大多数の人々にその恩寵が「欠如」しているわけではない―――石には視力が欠如しているわけではないように。
スピノザはずっと独身で下宿生活をしていた。教会に通っていた大家のおかみさんからある日、いまの自分の信心で救われるだろうかと彼は質問されたらしい。スピノザの答えは、大丈夫、救われます、というものだったそうである。「有徳なる無神論者」と気味悪がられたこの人には、独特の事物の愛し方があったのだと思う。」